2018あの街この街2 阿波川島〜エル・カンターレを生んだ町
2018年に初めて訪れた街のうち、印象深かったものを数回に分けて取り上げる。
徳島駅から徳島線の特急に揺られること20分。のどかな山間の駅で下車する。
駅周辺にはそれなりに人家があるものの、商店らしい商店はほぼ見当たらない。そんな何の変哲もないこの町は、不世出のスターを輩出した。大川隆法。エル・カンターレこと、幸福の科学の創始者だ。大川は誕生から高校時代までをこの町で過ごしたのである。彼の生誕を記念した巨大建築物が、徳島の片田舎に存在するらしい―ネットで情報を仕入れた私は、四国旅行の行程に急遽「聖地」阿波川島への訪問を組み込んだ。
「四国三郎」の名で知られる吉野川沿いに形成された町。どこにでもありそうな家並みが続く。
道中、家々に貼られている政党ポスターの多くが、幸福実現党のものであることに気づかされる。
山間に向かう長い坂を登ること約20分。ダラダラと代わり映えしない風景にやや飽きてきた頃合い。周囲の田園風景とは不釣り合いな真新しい建造物が目に飛び込んできた。
「聖地エル・カンターレ生誕館」。2016年11月20日に落慶したばかりの建造物であり、「魂の新生の地であり、救いと許しの場所*1」である。
真ん中に立つとテレポートできそう
PL教本部をはじめ、信徒以外の立ち入りを禁ずる新宗教の建造物は少なくないが、ここ生誕館は誰でも立ち入り可能である。
左の大きな建物が礼拝堂
内部は撮影禁止であるため、以下の記述は記憶に依拠している。実際の空間配置は異なる点もあるだろうが、了承いただきたい。
入ってすぐのところに受付。受付の奥にはちょっとしたミュージアムショップ。大川の著作やキーホルダーやお守りなど、土産として買うには高すぎる幸福の科学関連のグッズが販売されている。また、隣接するスペースでは大川本人が幼少期に用いた机、鉛筆なども展示されている。
法話などが行われる研修用の部屋を横目に廊下を進むと、礼拝堂に到る。廊下の途中には寄付を呼びかける文言が貼り出され、寄付用の封筒が設置されていた。礼拝堂には300ほどの椅子が設置されており、講堂を彷彿とさせる。
礼拝堂前方には「7.77mの大エル・カンターレ像*2」が設置されており、その威容に驚かされるが、成金趣味といったところで聖性はイマイチ伝わってこない。午前8時ころに訪問したこともあってか、広い礼拝堂には信徒とおぼしき男性5人が礼拝しているほかには人影が見当たらず、静寂に包まれていた。観光客の姿は見えない。
礼拝堂の外に出ると、澄んだ空気に吉野川対岸の阿波市の山々が映えている。山向こうは香川県である。
礼拝堂から伸びる階段を下り振り返ると、やはりその佇まいに言葉を失ってしまう。披露宴なんかにも使えさそうだ。
ところで、生誕館のように、幸福の科学の精舎にはギリシャ風のモチーフが採用されている例が多い。しかし、成立してからさほど年月の経っていない宗教団体が、このように堂々たる面構えの建造物を建てることは非常に珍しい。建築評論家の五十嵐太郎によれば、「普通、教祖の存命中にすぐれた建築は完成*3」しない。これは、伝統宗教のみならず創価学会や霊友会といった新宗教にもあてはまる。草創期の宗教は信者数も少ないうえ、圧倒的なカリスマ性を持つ開祖が君臨している以上、壮大な建築物によって宗教的権威を誇示する必要性が薄いのである。ではなぜ、幸福の科学は精舎においてギリシャ風巨大建築を採用しているのだろうか?
大川はギリシャ神話に登場するヘルメスの生まれ変わりだと自称している点や、巨大建築の視覚への訴求力はその要因たりうるだろう。しかし、幸福の科学の広報戦略と関連が深そうである。大川はこれまでに説法や著作を通じて信者を拡大している。とにもかくにもその著作は売れに売れ、毎年のように年間売上20位以内のベストセラーにランクインしており、そのカリスマ性は否定できないだろう。ただ、何より幸福の科学が世間の耳目を集め、信者の心をつかむ理由は、大川が古今東西のありとあらゆる著名人―釈迦やアリストテレスからブルース・リーや本田圭佑まで―を降霊させることでインパクトのある「霊言」を語ることにある。大川の著作の多くは「霊言本」であり、その中身は教団や大川に好都合な記述で埋められている。大川はいうなれば他者の権威を借りる形で、自らの正当性をアピールしているのである。
同様の現象は建築にも当てはまる。すなわち、幸福の科学がわざわざ各種施設の設計にあたり古代ギリシアの建築様式を採用する背景には、伝統や格式を想起させることで宗教団体としての権威を印象づけることにあるのだ。教団が次々とキッチュな擬古典建造物を生み出す背景には、ギリシア建築に付随する聖のイメージを借りるという意図が存在するといえよう。
もっとも、ギリシャ風味の新宗教建築は幸福の科学の専売特許ではない。東京駒込の天心聖教本部聖堂は、パルテノン神殿を明確に意識したつくりとなっている。
閑話休題。駅に戻る。
空地に「仕事のコツ」などと題された掲示があり、歩くだけで教義に触れることができる親切設計。
駅のそばで、往路では見落としていた目を引く建物を発見する。
掲示に目を向けると、「聖地・川島特別支部」とある。生誕館より古く、2003年より存在する精舎である。生誕館が建つ以前は、信徒はこちらに聖地巡礼していたのであろうか。
近隣には、地域住民と教団の対立を示唆するような看板がかかっていた。
そんなこんなで不可思議な建築を目にしたせいでせいで妙にスケール感が狂ってしまい、気持ちの整理もつかないまま阿波川島を後にすることになった。生誕館は徳島県の新たな観光名所となるのだろうか。はたまた、平穏そうなこの町に軋轢を生むのだろうか。少なくとも、阿波川島が天理のように宗教都市として名を馳せる日はすぐには訪れそうもない。教団とこの町の今後の動向に注目したい。
カッスカス標語