名前しか知らない街をたずねて~スロヴァキア・ブラチスラヴァ旅行記
思い返せば、首都の名前を覚えるのが好きなガキだった。
バクー、ンジャメナ、ヌアクショット、スリジャヤワルダナプラコッテ……見慣れない文字列、耳慣れない音の連なりと現実に存在する都市の間の結びつきを見出すことができないままに、知への渇望か、はたまた有り余っていた時間のおかげか、呪文やプロレス技の名称のような首都の名前を片っ端から暗記していた。
当時好きだった首都名がある。
スロヴァキア共和国の首都……であること以外の情報は何も得ていなかったが、上品さと硬質さが同居するような音の響きを、その耳馴染まなさも含めなんとなく気に入っていた。
十数年が経過した。
ブラチスラヴァは世界史や地理の授業でもついぞ出番がなく、ドキュメンタリー番組や紀行番組、報道の類でも目にする機会はなかった。自分自身の成長の過程で目を通したいかなる文献にも登場しなかった(と思う)。当然、単語として発話する機会もなかった(仲間内で「首都名山手線ゲーム」をやっていたときに口をついて出てきたかもしれない)。
結局、ブラチスラヴァに関してはスロヴァキアの首都であることを除き何も知らずじまいだった。
今年の3月、羽田~フランクフルトとプラハ~成田の航空券を購入し、中欧旅行へ向かう運びとなった。ミュンヘン、ザルツブルグ、ウィーンを経由するルートなら、ドイツ、オーストリア、チェコの3カ国を周遊できそう。
しかし、ヨーロッパ、特にシェンゲン協定を締結している国であれば陸路で容易に国境を越えることができる。海外に行けるチャンスはそう多くはないのだし、どうせなら生涯訪問国数を1つでも増やしておきたい。ルートの途中、日帰りで立ち寄れる国はないだろうか……地図を見て見るとどうやらウィーンから隣国の国境までは数十kmしかないらしい。国境の先の街に行ってみよう。スロヴァキア・ブラチスラヴァに。
そんなこんなでウィーン中央駅から Regiojet のバスに乗って1時間、ブラチスラヴァのバス停で降り立った。首都間の距離としては非常に近い。東京鎌倉間とそう変わらないのではないだろうか。
近年のヨーロッパはじつに高速バス網が充実しているらしい。2011年創業の FlixBus をはじめとする長距離バスサービスの営業エリアは複数の国にまたがっていて、県境を越えるような感覚で国境を越えることができる。安価なうえに乗車直前であってもネット経由で予約や決済が可能で、Wi-Fiやフリードリンクといったサービス面でも鉄道に引けを取らない。市街地から外れた場所に中央駅が立地していることも多い鉄道に比べて、都市の中心部までダイレクトまでアプローチできる点も魅力だ。
どうやら目的地である旧市街地の一つ手前のバス停で降りてしまったらしい。近くにあったロードサイドの大型ショッピングセンター “Aupark” に足を踏み入れてみる。テナントは世界的に展開しているスポーツブランド店やファストフードチェーンが主で、白を基調とした明るい内装はわが国のショッピングモールとそう変わらない。普遍性の極致とでも言うべき空間だった。案内表示のスロヴァキア語と行き交う人々の肌の色が、かろうじて異国に身を置いてくれることを伝えてくれる。そういえば、幼少期は親に連れられて毎週のように近隣のジャスコ(イオンと呼ばれる前だった)に足を運んでいたが、小学校の同級生と会うのが嫌で嫌で次第に足が遠のいたことを思い出す。ここにはクラスメートはいない。
旧市街地へと通じる橋を渡る。眼下のドナウ川は美しくも青くもなく、見慣れた荒川のように無表情だった。
他の中規模以上の中欧の都市がそうであるように、トラムが走っている。地図を見ると、徒歩だけでも主要な観光地を巡ることができそうだ。ウィーンほどの壮麗さはないものの、瀟洒な建造物が並ぶ。
突如、淡いブルーが目に飛び込んできた。カトリックの聖エリザベス教会だ。
サマルカンドやイスタンブールのブルーモスクなど、青系の宗教建築物といえばイスラム系が思い浮かぶが、青色がメインカラーのキリスト教の教会は珍しいはずだ。それにしても、アリスの衣装のような可憐な青だ。旧市街地の建物はおおむね赤屋根だから、いっそう青が引き立つ。入り口にあしらわれている五芒星も心憎い。清純なブルーにうっとりしていたその刹那、犬にすごい勢いで吠えられてびびる。
路上に屋台のようなものが停まっている。近づいてみると、ビールバイクだった。11時台でありながら、大勢の若者たちで賑わっていて、スロヴァキアのピルスナーを提供するらしい。すっかりできあがっている兄ちゃん連に飛び込む勇気は持ち合わせておらず、その場を後にする。あと一歩が踏み出せない。旅行者としてはまだまだ三流だ。
それにしても、観光客はあまり多くなさそうだ。東洋人と思われる外見の旅行者の姿をほぼ見かけない。フランクフルト、ミュンヘン、ザルツブルグ、ウィーンとこれまで周ってきた都市では興が削がれるほど日本語を耳にしただけに、安心して旅情に浸ることができる。そんな街にもスシレストランはあった。“bamboo restaurant”、イラストに描かれた竹を見て、竹がアジアの表象として用いられていることをはじめて理解した。スロヴァキアには竹は自生しないのだ。
少し歩くと、看板にイルカのキャラクターが描かれた“SUSHI+”。イルカをキャラクターに据える寿司屋は世界中探してもスロヴァキアにしか存在しないのではないだろうか。内陸国だけど海の魚を食べるのかな。
書店に立ち寄る。異国の文化を理解するのには観光スポットよりも書店かスーパーマーケットに入るほうが手っ取り早い。店頭に並んでいるのは世界的にヒットしている文学作品やスポーツ情報誌ばかりで、川端康成や村上春樹は置いていなさそうだった。カフカやクンデラを輩出したチェコに比べ、スロヴァキア文学の印象はまったくない。海外に行くとその国で発行された書籍を買うようにしているが、言語を理解できないために漫画ばかり買ってしまう。しかしどうやらスロヴァキアオリジナルのコミックはないらしい。悩んだ挙げ句、スロヴァキア国内のシナゴーグを紹介する写真集を買うことにした。ここブラチスラヴァにもユダヤ人街が存在したそうだが、共産主義期の橋梁建設により消滅したらしい。
石畳の道と旧市街地の建造物群は、隣接するウィーンと似通っていた。
ウィーンとの相違点を上げるとすれば、こちらには共産政権時代に建設されたと思しき画一的な集合住宅群が存在する点であろうか。ゴシック様式のミハエル門からモダニズム風公共施設、共産圏らしい団地、現代的な高層オフィスビルに至るまで、さまざまな時代の建築物はこの国の持つ歴史の重層を雄弁に物語っている。
ひとしきり市街地を歩いたあと、小高い丘の上のブラチスラヴァ城を目指す。テーブルをひっくり返したような形で、つるんとした白い外壁は質素だが、シンボリックでもある。西洋風城砦を見るとインターチェンジ沿いのラブホテルをまっさきに思い浮かべてしまうのは、郊外育ちの悲しい性なのかもしれない。こじんまりとした城内の庭園でたたずんでいると、目鼻立ちのくっきりした背の高いブロンドヘアのスラブ系の女性グループに声をかけられ、写真を撮ってくれないかと頼まれた。なにぶん内向的な人間なので、一人旅のあいだは極端にコミュニケーションの回数が減ってしまう。そのぶん内省が捗るのだが……話しかけられたのがなんとなく嬉しくて、つい2回シャッターを押してしまう。
バスターミナルに移動し、ウィーンへ戻る便を待つ。3時間のブラチスラヴァ滞在。一刻の首都とは思えないほど市街地がコンパクトであるため、観光情報サイトに掲載されているような見所はあらかた抑えることができた。とはいえ、刺激的な体験をしたわけではない。せいぜいが都市の表層に触れた程度だろう。高名な名誉教授の講演を聞きに行ったら、ありきたりな雑談に終始していたときのような、安堵と感動と少しばかりの物足りなさが入り混じった感覚を抱いた。それでも、特段思い入れのなかったブラチスラヴァという音の響きが以前に比べどこか温和に、親しげに感じられるようになった……気がする。
多くも少なくもない残り時間。旅をするなら、名前しか知らない街を訪ねたい。そう思った。