ふわふわ不和

都市と死

ショッピングモール・コンプレックス

一睡もできず迎えた朝は世界そのものが恨めしくなる。
 
1月某日。卒論の初稿提出まで2週間を切っていて、前日の23時頃からずっと研究室の椅子に腰掛けていた。執筆そのものは場所を選ばない営みなのだが、自室にこもっているとどうしても鬱々としてしまうので、とりあえず環境を変えてみたくなる。
終電が訪れようかという時間までに研究室の面々は一人また一人帰り、部屋はがらんどうになった。
 
タイムラインを漁る。数十年前の競馬の動画を閲覧する、なんとなくツイッターのアカウントを消す、アイドルソングのMVをザッピングする、サラダチキンを齧る、卒論に手を付ける。捗らない。ツイッターのアカウントを復活させる。自棄になって眠剤を呷ると不思議と執筆ペースが上向く。気づくと1節分に相当する3,000字前後の雑文が転がっていて、そうして、朝が来ている。
ここ1週間ほど生活が空転し続け、起床時間も就寝時間もコントロールできなくなっていた。
午前7時半、野菜ジュースと本日2個めのサラダチキンの朝食を済ませる。
昼には人と会う予定だった。研究室で仮眠するにはどうにも中途半端だ。
そういえば、人と会う場所からほど近くに、イオンモールがある。時間を潰すには程よい場所だ。
 
電車とバスを乗り継いで約1時間。東京近郊のベッドタウン。ご丁寧にもバス停名に「イオンモール」と付いているから、うっかり乗り過ごす心配はない。
何の変哲もない、住宅街に屹立する巨大な構造物、ビッグネス。内部に疑似商店街が顕現していることを外部から知るすべはない。
 
ショッピングモールはグローバルとローカルが交錯する空間である。明るい内装、匿名性、世界的ファストファッションブランド、巨大さ、吹き抜け!……他方、一部のテナントには地域性が垣間見える。駐車場に停まるミニバンのナンバーも地元のものがほとんどだ。
ショッピングモールは過去と現在が交錯する場所でもある。目の前の小さな親子連れの姿に、かつて親に連れられ毎週のようにモールの水泳教室に通っていたあの頃の自分の姿がダブる。とにかく級友と鉢合わせるのがイヤで、身を小さくしていた。
そういえばスロバキアのショッピングモールを訪ねたとき、言いようのない郷愁と不安に包まれたのを思い出す。
 
10時54分。食品売り場は必要以上に混んでいた。高齢者と主婦。
 
3階、「げんきキッズ共和国と暮らしのフロア」。「王国」ではなく「共和国」と銘打つあたりがイオンモールの精一杯の慎ましさか。
家具売り場。店員が手持ち無沙汰にしている。広い。ここで半月は籠城できるのではないかな。
 
ゲームセンターに足を踏み入れた。子供だましのモーリーファンタジーではないほうの。生真面目そうな中年女性と幼児連れの家族、ヤンキー崩れ崩れ崩れみたいな半笑いの年齢不詳男。これほどまでに景品がそそられないUFOキャッチャーが存在するだろうか?
競馬のゲームを見かけるも、コインが必要らしく諦める。黒光りする音ゲーの筐体がいくつも並ぶが、やはりそそられない。
ほどよく暇を潰せそうな湾岸ミッドナイトのコイン投入口に100円を流し込みハンドルを握ると深夜の首都高。必要以上にアクセルを踏みしめる。なぜだか、「中学をサボってゲーセンで油を売った架空の思い出」が脳内で再生される。いらいらする。1ゲーム目で飽きて椅子を離れる。
 
ヴィレッジヴァンガード。アユニ・Dの写真集を手に取り、すぐ棚に戻す。プラチナブロンドでショートボブの店員が気だるそうにレジを打っている。
 
イオンモールには何でもある。そのうえ、希望もある。
昨年の8月にに行った前橋駅前のショッピングモールは、車社会の弊害かテナントが3つか4つしか入ってなかった。仄暗い照明の下、地元の高校生が勉強をしていた。SECRET BASE~君がくれたもの~がやけに大音量で流れていた。
ここでデートをしてみたい、してみたかった。B級スポットを冷やかしたいという願望ではなく、目に映るものすべてを心から満喫したかった。フードコートで2時間粘りたかった。それからさあ
 
会うはずだった人とはとうとう会えなかった